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中国・オルドス訪問
毎年2~3回、中国を訪問し、現地交流や植林活動を行っています。その滞在レポートを写真を中心につづっています。

体験記『オルドスの風I』
代表・坂本が青年海外協力隊としてオルドスに滞在した3年間を赤裸々に綴った体験記。バンベンの緑化事業をはじめるにあたっての原体験です。(全40回)

ノリブの日本留学記
代表・坂本の日本語教師時代の教え子・ノリブスレンが2004年9月に日本にやってきました。日本でどんな経験を積んだのか、日記風に語ってもらいました。

◆オルドス的な人々
オルドスの素敵な人々を紹介します。

イチゴ日記
2007年夏、突然イチゴ作りを思いつきました。近所の農家の方々の支援を受けながら行った農作業の記録です。2008年からは人手不足のため栽培を中断しています。

◆出前講座・教室
代表・坂本が小学校や大学、幼稚園などを訪れて、国際交流や国際理解、植林活動について、出前講座を開催しています。

◆出張販売・イベント
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国内での営業活動や旅行についてまとめています。

◆その他
懇親会や交流会、受賞や取材など、代表・坂本の活動についてまとめています。

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2006,01,04, Wednesday
このコーナーではオルドス出身の人々について紹介していきます。まずは「教え子たちの今」をお伝えします。

 今回は「楊金海」です。彼は高校の時から楽器の演奏や歌が上手で、高校卒業後は内蒙古教育学院音楽班に進学。現在は内モンゴル自治区の首府フフホト市に住んでいて、同市で最大規模のモンゴル料理レストラン「草原城」で馬頭琴の演奏をしています。
 今年の1月にそのレストランで知り合った歌手と結婚しました。実は結婚式に私も参加したのですが、その時の様子は後日あらためて紹介したいと思います。
 彼の名前を見ておやっと思った方もいるかもしれません。今まで登場したモンゴル族の人たちの名前は全部カタカナ。でも彼は漢字。漢族の名前のようですね。実は彼のモンゴル語の名前は「アラタンダライ」(金の海という意味)ですが、それをそのまま漢字で表して、その上に「楊」という姓をつけたのです。理由はわかりませんが、中国に暮らすモンゴル族特有の名前の付け方です。
 今後、彼が音楽家として成功することを心から祈っています。


高校時代、歌う楊金海


楊金海君にいろいろ質問しました。(回答は中国語。坂本邦訳)

1,高校の時、日本語は好きでしたか、きらいでしたか?どうしてですか?

  「大好きでした。小さい頃から外国に興味を持っていたから。」

2,高校の時、日本語の授業でおもしろかったことはどんなことですか?

   「日本語の会話です。」

3,日本語の授業でつまらなかったことはどんなことですか?

   「ありません。」

4,坂本との交流で一番思い出に残っていることは何ですか?具体的に書いて下さい。

  「私の結婚式に来てもらったうえに、そのあと砂漠を越えてわざわざ私の実家に来てくれたことです。」

5,日本についてどう思いますか?

 「科学技術が発達した国で人々は皆勤勉だと思います。」

6,今、どのような仕事をしていますか?

 「馬頭琴の演奏をしたり、教えたりしています。」

7,どんな家庭を築いていますか?

 「まだ子供はいませんが、夫婦2人で幸せに暮らしています。」

8,最後に一言

 「先生、新しい事業が成功することをお祈りします。」


彼の馬頭琴と歌は本当に素晴らしいので、フフホトに行く機会のある方は是非「草原城」まで足を運んでください。

 
奥さんともども音楽家

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2006,01,05, Thursday
このコーナーではオルドスに暮らす人々について紹介していきます。今回はウユンブラゲ君です。
彼は高校時代、とにかく日本語が大好きで、授業中はいつも大きな声を張り上げて、授業を盛り上げてくれました。
僕の部屋にもよく遊びに来てくれて、日本のこと、中国のこと、将来のことなどいろんな話題に花を咲かせました。


高校時代のウユンブラゲ君(左から2番目)


ウユンブラゲ君にいろいろ質問しました。(中国語で回答してもらったあと、坂本が日本語に訳す)

1,高校の時、日本語は好きでしたか、きらいでしたか?どうしてですか?

「大好きでした。理由はまず日本語は僕が初めて学んだ外国語だからです。それと先生の教え方が毎回工夫に富んでいて、面白かったからです。」

2,高校の時、日本語の授業でおもしろかったことはどんなことですか?

「日本の歌を覚えたこと。それからクラスの中で日本語ができるほうだったので、充実感がありました。」

3,日本語の授業でつまらなかったことはどんなことですか?

「ありません。」

4,坂本との交流で一番思い出に残っていることは何ですか?具体的に書いて下さい。

1「1年生の時、夜、先生の部屋に遊びに行って帰るとき、僕が日本語で『すみません』と言ってしまった後、先生が笑いながら『さようなら』といった時のこと。その時から日本語をもっと勉強したいと思うようになりました。」
2「授業の時、寝ている生徒がいたときに先生がその生徒のそばに行き、笑いながら『おやすみなさい』といっていたこと。」


5,日本についてどう思いますか?

 「第1に経済が発展している。第2に戦争。第3に日本の政治。第4に日本人はまじめで、心配りができ、知識が豊富ということ。」

6,今、どのような仕事をしていますか?

「今、内蒙古税務局で仕事をしています。」

7,どんな家庭を築いていますか?

「収入はそれほど高くありませんが、穏やかで幸せな家庭を築いています。」

8,最後に一言

「先生がオルドスで過ごした3年間の成果はこれから出てくると思います。」



彼は2003年に結婚し、去年の暮れ子供が生まれました。仕事も順調そうだし、自分の車も手に入れて、
幸せの絶頂期という感じでした。
僕の生徒の中で日本語の会話能力という意味では彼に敵う生徒はいませんでした。
10数年経って、彼は日本語をほとんど話せなくなっていました。ちょっとショックでしたが、考えてみると日本語を
今、話せるか話せないかはあまり重要ではなく、高校時代日本語を通して彼らと交流した過程やお互いに影響し合い、いろいろな思い出を共有しているという事実が重要で、更に10年経って、今度は親友としてゆっくりお酒を酌み交わすことができることが大切なんじゃないかと思えるようになりました。今後もフフホトに行ったときに彼と会うのが楽しみです。


2004年フフホトにて(右がウユンブラゲ)
自家用車で空港まで迎えに来てくれました。

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2006,01,06, Friday
このコーナーではオルドスに暮らす人々について紹介していきます。今回は金山さんです。

91年当時、金山さんはオルドス旅行社に勤めていて、日本滞在経験もあるし、日本語もペラペラ、隊員時代はボクにとっていい相談相手でした。学校で面白くないことがあったとき、よく金山さんのうちに行き、酒を飲みながら、日本語で愚痴を聞いてもらい、ストレスを解消していました。ボクの活動にはなくてはならない存在でした。


金山一家。息子さんの1歳の誕生日(93年)


ボクが抱っこした途端、泣き出してしまいました。


帰国後も金山さんとの交流は続いています。彼は98年から単身で日本に渡り、岡山で2度目の留学生活に入りました。その後2000年に東京に移り、家族を呼び、3人で協力しながら生活をしています。息子さんは今、12歳。4月から中学校に入学。外国人でありながら、クラス委員に選ばれるなどすっかり日本に溶け込んでいます。しかし、民族の誇りもきちんと持っていて、馬頭琴も弾きこなします。


 
2004年東京の金山一家のアパートで

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